電子出身の人はどの分野にも可能性があると言えます.

電気電子抜きにして車は走りません.

日産自動車株式会社

対談「産官と学」2013年10月 日産自動車座間事業所

― 企業の第一線で活躍中の技術者と電気電子技術の重要性を語る ―

佐藤 義則 氏
寺川 光洋 氏

(司会)
本日はお忙しい中お時間を取っていただきましてありがとうございます.
学生の中には,自動車メーカーと電子工学の間にどのような接点があるのか,不思議に思う人もいると思います.本日はその周辺の話を,色々とお伺いできたら幸いです.それでは佐藤さん,寺川さんよろしくお願いします.

子供時代はスーパーカーが大流行 - あえて「電気でない分野」の自動車会社へ入社 –

寺川 : それでは,まず佐藤さんのご経歴についてお話いただけますか?

佐藤 : 子供の頃のことから始めても良いですか?
我々の世代では,子供の頃にスーパーカーが流行りました.今の学生さんはご存じないかもしれませんが,当時の憧れの的はランボルギーニカウンタック,漫画では「サーキットの狼」,テレビでもスーパーカーの特集番組があり,とにかく車に対する憧れと興味がありました.一方で,身近なところでは,父親が日産車好きで, 子供のころからずっと日産車に乗っていました.ですので,自動車と言ったら日産,と結びついていました.

寺川 : ずっと自動車一筋だったのですか?

佐藤 : 小さい頃は昆虫が好きで,生物にかかわるような仕事に就きたいとも描いていました.しかし,中学生・高校生くらいになって電気分野にも興味を持ち始めて,大学の時には,電気電子に進みたいと思うようになりました.しかし,就職先を選ぶときに,電機メーカーに就職するよりも少し違うこともしたいという気持ちになりました.
電気ではない分野で,電気系の仕事をすれば,独自性を発揮できるかと思って.大勢の中の一人ではなく,違う分野に電気電子の視点から切り込むことで活躍できるのではないかと,大学時代は考えていました.

寺川 : それで自動車会社に入社されたのですね.

佐藤 : はい.入社当時,日産は半導体の内製を開始した時期でした.車の電子化が加速してきた時期でしたが,自動車会社にとっては電子分野の肝になる半導体がブラックボックスになっていました.それでは良くないとのことで,追浜(横須賀)に半導体の内製部隊を立ち上げて強化していた時期だったのです.大学で所属した研究室が半導体物性の研究室だったこともあり,先輩から声をかけられました.当時は会社に入ってからも半導体の仕事をするとは,まったく考えていませんでした.ただ,何かしら電子技術に関わりたいと思ってはいましたけれど.

寺川 : なるほど,そうなのですね.

佐藤 : 入社後は,社外の半導体メーカーと一緒に,カスタムIC(Integrated Circuit:集積回路)を企画・開発する仕事をしました.車載ユニット間を通信で結ぶための通信用ICや,エンジンの電子制御マイコンの監視用ICなど, システム全体を眺め, カスタムICに機能を集約していく仕事です。それが2000年頃までです.1991年に入社したので,約10年そのような仕事をしたことになります.
次第にこれらのICは,ユニットサプライヤ自身で企画・開発ができるようになり,我々はそれまでに得たスキルを,さらに様々な分野に活かす段階に移行していきました.自動車の電動化に伴い,電気自動車やハイブリッド技術に関連する分野が重要になるだろうと考え,その時期に私は現在の座間に移ってインバータの開発を中心に取り組むことになりました.
半導体をやってきた経緯から,パワーデバイスとそれをどうやって駆動するかという回路設計に関わり始めました.インバータの回路設計の仕事は,ICから回路全体,そしてインバータ全体をまとめていくという内容です.次の世代のインバータの開発を取りまとめるような仕事を開始して,そうした技術の蓄積があって,今のフーガ・ハイブリッドですとか,リーフの仕事に繋がってきました.

対談 産官と学 日産自動車株式会社

佐藤 義則 氏佐藤義則氏 略歴:(2013年現在)
1991年,慶應義塾大学電気工学科卒業.同年日産自動車に入社.
以来,開発部門にて電子技術開発に従事.車載用カスタムICの企画・開発に携わった後,EV・HEV向けインバータの開発に参画.エクストレイルFCV,フーガ・ハイブリッド用インバータの回路設計を経て,リーフ用インバータの開発ではプロジェクトリーダーを務める。現在の職務は,将来に向けたインバータ先行開発のマネジメント.